◆7◆
 待ち合わせ場所にしていた小さなカフェに入ると、客は汀だけだった。だから探すまでもなくすぐに見つかり、ドアの開く音で視線をこちらに向けた汀もすぐに見つける。
 指先をひらめかせて汀が笑った。いつも、というほど会ってはいないが、いつの記憶とも変わらない、軽薄な笑みだった。
「やっほーオサオサー。久しぶりー」
 汀の前に置かれた、細長いグラスには炭酸が浮かんでいる。好きなのだろうか。
 彼女の向かい側に座ってコーヒーを注文する。すぐに出されたそれに練乳は入っていない。当たり前だ。入っていたら困る。
「で、首尾は?」
 密談のように身を乗り出して、小声で尋ねてくる汀。なにを演出しているのだ、と呆れる。
「秋子さんのメモがあったわ。そのまま持ってくるのは気が引けたから、書き写してきた」
「おおー、ナイス! サンキューオサ」
 梢子がメモを差し出すと、汀はそれとテーブルに置いていた地図を見比べて確認し始めた。「間違いないみたいね」位置を照らし合わせて、目当ての社であると判断したようだ。
 確認中、息を詰めていた汀が、思い出したようにグラスのストローを咥える。気泡を含んだ液体が吸い込まれていく。知らず、梢子の視線もそれに吸い込まれる。
 汀はストローを咥えたまま、目線だけを上げてにやりと口元を歪めた。
「なに、オサ。人の唇じっと見ちゃって」
「え、な、べべべ別に見てないわよ」
「ふ〜ん?」
 梢子がコーヒーを一気に飲み干す。苦い。
 それにしても、なんともテンションの低い再会だ。アメリカ式に親愛のハグなどをされても困るけれど。そんなことをする汀は気持ちが悪い。しかし場合によっては本当にやりそうだから恐い。ハグといえば接触だ。ゼロ距離の接触。そうなれば、当然、顔と顔も近づく。いやだから別にそんなことは起きてないから気にする必要はない。
 ストローを解放して、頬杖をついた汀が、猫みたいに笑った。
「オサが今なに考えてるか、当ててみせようか?」
「当てないでお願いだから」
 嘘も隠し事も苦手なのだ。
「そんなことより、その傷、どうしたの」
 額を指して言う。訊いたというより言った。理由は気にしていない。傷を作るようなことをしたのだな、と咎めただけだ。
 汀は「やっぱり」という顔をした。やっぱり怒った。そういう表情。「これだから」こちらは声に出ていた。非常に小さな独白だったけれど。
 これだから、群れは。そんなような言葉だった。
「昨日の晩、ちょっと一戦」
「鬼と?」
「ストリートファイトでもしてた方が安心できる?」
 相変わらず、汀のこういう軽口は苛々する。
「昨夜って、私と電話する前? 後?」
「どっちでも変わらないと思わない? 原因究明は大事だけど、結果をないがしろにするのは愚か者よ?」
 それは確かにそうだ。電話の前後どちらでも、汀の傷は大きくも小さくもならないし、予断が生まれるわけでもない。
 梢子がそれを気にしたのは保身のためだった。己がベッドで下らない煩悶を抱えて暢気にごろごろ転げていた頃、彼女が死闘を繰り広げていたのだと思いたくなかっただけだ。そうでないと確認して安心したかったのだ。
「心配しなくても、電話する前よ。あの後は、あたしもホテルでぐっすり」
「あ……そう……」
 見抜かれてなお、ホッとしている自分が嫌になる。
 ちなみにこちらはぐっすりとはしていない。
 汀がくふんと息を洩らして、梢子の持ってきたメモをためつすがめつした。
「こうやって見ると、けっこう時間かかりそうね」
「そうね、子どもの足でも行けたけど、獣道みたいなところを通った覚えもあるし、あまり暗くならないうちに帰れるようにしたほうがいいかもしれないわね」
「なら、善は急げ。行きましょうか」
 立ち上がる汀に、梢子も続いた。
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