ディアレスト 02


 鬼切り頭自らが術を込めた護符を懐に、汀と白花は長旅に出た。道程を聞いた時は軽く気が遠くなった汀である。電車とバスを乗り継いで、さらに森の深くまで入り込まねばならないらしい。
 第一の移動手段である電車に白花と向かい合わせで座りながら、汀はなんとなく窓の外を眺めている。
 正面の白花は、腕組みをして軽く目を閉じていた。居眠りをしているような姿勢だったが眠りの気配はない。
 暇だった。
「……山里は、冬ぞさびしさまさりける」
「上昇志向があるなら葛の誘いを受けるべきだったと思うけど」
「単なる景色の感想」
 うっすらと目を開けた白花が微笑する。窓の外は深く雪。風がないせいか、降り落ちる雪は花弁のように儚く舞う。雪面反射で見ていると目が痛くなった。仕方なく、汀は目の前の若者へ顔を向けた。
「風がないね」
「山に囲まれてるせいでしょ? 別に珍しいことじゃない」
「ああ……。おかげで、雲が厚い」
 白花は、ふぅ、と嘆息して、顎のあたりをゆるゆると撫でた。
 雲の通い路とか言ってカマをかけてみようかと思ったが、どうせあのつかみ所のない笑みであしらってくるだろうから、やめておいた。
「にしても暇ね。雪ばっかで景色も代わり映えしないし。なにか暇つぶしになるようなものがあればよかったんだけど」
「ああ、トランプならあるよ」
「……なんで?」
「いや、葛に持たされたんだよ。旅のお供の必需品だとか言って」
 つかめない、としみじみ思った。物見遊山ではないというのに、これが必需品と言い切る葛も、それを受け取ってしまう白花も。
 ハムスターの絵柄が裏側にプリントされたトランプが、白花の手の中でシャッフルされる。「葛のお勧めは七並べだそうだけど、ここじゃ難しいね」飄々と言う白花に汀は頭痛を覚えた。
「バカラでもポーカーでもブラックジャックでもいいわよ」
「はは、君、葛と気が合うと思うよ。彼女もそんなことを言ったらしいから」
「誰に?」
「え?」
 手遊びのようにシャッフルを続けていた白花の手が止まる。無意識にかトランプの束を整えながら、眉を片方だけ上げた。
「『らしい』ってことは又聞きでしょ? 普通に考えれば話したのは葛さま本人かな。何かの思い出話をしている時に葛さまがあなたに言ったわけだ。あなたはその場にいなくて、他の……あなたに近しいか、何か特別な思い入れのある人間がそこにいた。だからそんな、他愛のない会話の内容を覚えてた。違う?」
 目を眇めて探るような笑みを浮かべると、柔和な少年は「お見事」というふうにトランプを持ったまま両手を肩までさし上げた。
 別段、褒められるほどの推理ではないので、汀はそれに応えない。
「これから向かう土地に、葛が少しだけ滞在していたことがあってね。僕の妹とそこで知り合ったんだ。それが縁になって、今僕はここにいる」
「へえ、妹がいるんだ」
「双子のね。昔はずいぶん腕白でよく振り回されてたよ。僕はどちらかというと大人しい方だったから」
「ま、ちっちゃい頃って大体女の子の方が強いわよね。似てるの? 双子でも性別が違うからそっくりってほどでもないかな」
「成長してからはそれほどでもないけど、小さい頃は本当に生き写しだったよ」
 汀はひそかに得心する。現在の彼も中性的な面立ちをしている。性差の出にくい幼子の頃なら、ますます女の子のような容色だったろう。
 その妹も鬼切りなのだろうか。そう思って尋ねると、白花は苦笑混じりに首を振った。
「荒事には向かない子なんだ。僕も桂には普通の女の子として過ごしてほしいと思っている」
 汀には判る由もないことだったが、白花の言葉には複数の意味が込められていた。それは双子の妹の性格的なことであったり、身体能力的なことであったり、その身に流れる生命の根源のことであったり、話題に出ていない誰かの現状だったり、白花自身のこれからだったりした。
 心を読める超能力など持ち合わせていない汀は、ただ白花が肉親を危険な目に遭わせたくないと願っているという意味に受け取った。
「ケイってのが妹さんの名前? こっちはあなたと逆で男名寄りか。双子じゃなくても、きょうだいに異性名をつけて魔除けとする風習ってのはどこにでもあるけど、そのクチ?」
「いや、単に母さんが出生届を間違えただけ」
「あ、そ……」
 まあ、これだけ医学の発達した現代、鬼に子どもを連れ去られないように……幼い我が子を失わないためにまじないをかける親もそうそういないか。
「つまんないなー。もしそうなら丈夫に育つように女の子の格好させられてたとか、面白い展開が期待できたのに」
「むしろ桂が男の子の格好をしてたよ。双子だったから、お揃いの服を着させられて」
「鬼は男の子を食らって、女の子には胤を落とす。男の子なら胤を植えられても鬼は生まれ出でない。だから女なりをさせるっていうのに、それじゃあどっちも鬼に食われちゃうでしょ」
「さて」
 奇妙な、相槌とも否定とも取れる一言を置いて、手にしたトランプの束から五枚、汀へ差し出してきた。
「とりあえずポーカーでいいかな?」
「……あ、やるつもりだったのね」
 すっかりとその存在を忘れていた汀だった。
 暇つぶしならできていた。
 彼との楽しい会話によって。
 
 
 
 ポーカーは盛り上がらなかった。二人とも常なる笑みのポーカーフェイス(まさしく!)が完璧で心理戦になりようがなかったし、汀がイカサマを仕掛けても白花はそれをすべて見破ったせいだ。本当に運と先読みだけの勝負になってしまったのである。
 正反対だなぁ。汀は最後の勝負で使ったトランプを白花に返しながら漠然と思う。嘘が下手でイカサマを見破れない彼女と、彼はあまりにも反対すぎた。いっそ新鮮にすら感じられる。
「なにか?」
 視線に気づいた白花が顔を上げた。「年のわりに世間ズレしてないなと思って」やや世間ズレしている彼女と対比させて、そんなふうに答える。
 白花はトランプをケースに戻してから「そうかな」と微笑みつつ返した。その反応がもう年齢不相応である。疑問形でないのが何よりの証拠だ。自分とそれ以外のすべてとの距離感や高低差、地面の確かさと空の高さを正確に理解している表情である。百戦危うからぬ彼だ。
 彼は月がほしいと手を伸ばしたりはしないだろう。けれど、自分自身の力で月に届くほど跳べると判断したら迷いなく跳ぶ。そういう聡さと敏さ。
 明け方のような微笑みは変わらず、白花は目を窓の外に移す。同じタイミングで車内アナウンスが流れた。じきに目的の駅へと到着するようだ。時刻で言えば夕食時にもなっていないが、彼の視線の先は薄暗い。
「そろそろだね。この季節だとさすがに日が落ちるのが早いな。もう少し早く発てたらよかったんだけど」
「……すいませんね」
「あぁ、いや、そういうつもりで言ったんじゃないんだ。すまない」
 何を隠そう、いや特に隠すものもないが、出発時刻を遅らせたのは汀である。やや嫌味がちな汀の言葉に白花は慌てて首を振った。
「その、山奥だから暗すぎると見えないかと思って」
「ライトくらいは持ってきてるでしょ? 浄眼は光の影響を受けないし、特に問題ないと思うけど」
 汀は卯奈咲で月明かりだけを頼りに夜通し見張り番をしていたくらいなので、宵闇には慣れている。白花だって仮にも葛の護衛を務めているのだから(本人は友人と言っていたけれど、実質的にはそうなのだろうと汀は読んでいた)、まさか暗闇では役に立たないということもあるまい。
 「うん。まあ、そうだろうけれど」どこか歯切れ悪く白花は首肯した。
 電車の速度が落ちて、ゆっくりと停止する。白花が先に荷物を持って立ち上がり、汀がそれに続いた。白花が移動したことで出来たスペースで軽く伸びをする。座りっぱなしだったので腰が痛い。首を勢いよく倒すと、小気味の良い音がした。
 ただでさえ乗客の少なかった車両から降りたのは自分たちだけ。他の乗客はそれぞれ携帯電話をいじったり音楽を聴きながら居眠りをしたり、雑誌を読んだりしている。外に出た瞬間、電車と周囲の建物の隙間が生んだ斬り付けるような突風に襲われて、汀は彼らの仲間に舞い戻りたくなった。
「うああぁ寒い。ここ本当に日本? 実はシベリアじゃないの?」
「シベリアはもっと寒いと思うけど」
「あたしにはそれくらい寒いってことよ」
 ガタガタ震える汀の隣で、白花は平然としている。「これでも昔よりは気温が上がっているんだよ」だから大丈夫、となんの慰めにもならないフォローをしてきた。過去がどうであろうと、今ここで感じている寒さにはなんの変わりもない。
 嫌味のひとつでもぶつけてやろうかと口を開きかけたが、その前に気づいて一度止まった。
「あれ、てことは白花さん、このへんの出身?」
 彼の言う昔が何年前か知らないが、比較できるということは過去にこの地方の冬を体験していることになる。更に言えば、比較できるほど馴染んでいるなら、一度や二度訪れただけではあるまい。
「言っていなかったっけ? このへんも何も、ここが僕の地元だよ。小学校に上がるくらいまで住んでたんだ」
「聞いてない。じゃ、ここに実家があるわけだ」
「もう誰も住んでないけどね。家そのものは残っているよ。権利は桂がまだ持ってるのかな」
「親は? ……ああ、いいや。あなたの妹が権利持ってるってことは、どんな事情でも聞いて楽しい話にはならなそうだし。ていうか、普通は長男のあなたが相続するもんじゃないの?」
 当然の疑問に白花は、
「相続の話が出た頃、僕がちょっと家を空けていて連絡が取れなかったんだよ。だから桂に」
 ごく簡単に説明した。
「ふぅん」
 なんだか面倒臭い経緯があったらしい。特に興味もなかったので、汀は相槌だけで済ませた。どうせ未成年であれば実質的に管理するのは親戚の大人や委託された管財人になるのだから、名義はどちらでもよかったのだろう。
「まあいいや。とにかくさっさと済ませてさっさと帰りましょう。あたしは早くあったかいとこに戻りたい」
「了解」
 物分り良く頷いて、汀を先導するようにバスプール(と言って良いものか判断に困る規模だったが)へと向かう白花。時刻表を見れば、最終バスがもうすぐ来るはずである。
 風がないから雪の一片ずつが大きく、もたりもたりと降りてくる。先ほどの突風で汀の半分くらいは凍ってしまって、動かないと残りの半分まで凍りそうなので、半径一メートルくらいの範囲を円形にグルグル歩いた。足元に謎のないミステリィサークルが出来上がる。
「おおい、そこのお二人さん」
 ミステリィサークルが確固としたあたりで、不意に駅の方から声をかけられた。
 固まった首を無理やり回して振り向くと、年かさだが妙に体格の良い駅員がこちらを手招きしている。汀と白花は少しだけ顔を見合わせてから、代表して白花が駅員に近づいて「なんでしょうか」と尋ねた。
「バスを待ってるのかね」
「ええ、雪のせいか、最終が少し遅れているみたいですね」
 構内の掛け時計で時間を確認した白花が言うと、駅員は哀れむようにかぶりを振った。
「逆なんだよ。この雪だろう、利用客なんてほとんどいないから停まらずに進んでしまって、バスの到着がどんどん早まってね。君たちが来る少し前に最終のバスが行ってしまったんだ」
 「ああ、そうでしたか」白花はなんとも薄い反応だけをした。バス停から少し近づいて耳をそばだてていた汀は、その反応にこそうな垂れる。もう少し驚いたり焦ったりしても良いと思う。帰るまでに一度くらい、彼が声を荒げるような場面を見てみたいものだ。
「それじゃあ、すみませんがタクシーを呼んでいただけますか」
「ああ、お安い御用だ」
 人好きしそうな笑顔で請け負った駅員が、手慣れた様子で電話をかけている。さすがにここで夜明かしという事態にはならないようだ。
 戻ってきた白花は「はは、まいったな」とでも言いたげに笑っていた。気楽である。
「聞こえてた?」
「……一応、聞きたくない会話が」
「今日は無理だね。雪が深いから下手をすると戻って来れなくなる。よしんば山を降りられたとして、そこから帰る手立てもないわけだし」
 冷静な判断のもと、今日は一泊して明日の昼間に向かおうと提案する白花へ、汀はなかなか頷かなかった。
 不満を察したか、白花が指先で頬をかく。
「嫌そうだね。これから気温はどんどん下がるし、明日にした方が楽で安全だと思うんだけど」
「任務についてはそうでしょうよ。それはあたしも異存はない。そうじゃなくて、あたしが問題にしてんのは今ここにはあたしとあなたの二人しかいないってことよ」
 直接の説明ではなかったが、白花は理解できたようで、合点がいったと双眸を開いた。
 宣教師のように左手を掲げて、逆の手を自身の胸に当てる。
「大丈夫、僕の名誉にかけて何もしないと誓うよ」
「それも別に心配してない。そういう性根の持ち主なら葛さまがそばに置いているはずがないし、犯人丸判りな状況でそんなことするほど頭悪くないでしょ。そうじゃなくて……あぁーっ」
 思わず吠える。
 白花自身がどうという話ではないのだ。そんなことは最初から考えていない。考えたとしても瞬き一つで捨てられる可能性だ。
 問題なのは、それ以前の、状況そのものなのである。
「じゃあ、誰かに操でも立ててるの? 男女七歳にして席を同じうせずってやつかな」
「……操というか、操られてる、のかも」
 同字異義な説明だった。
 自由で勝手気ままな猫でありたかった汀を部屋に閉じ込めた存在。鈴はつけないくせに、外に出ることを許さない存在。
 そうではないか? 扉はいつでも開けられている。出ようと思えばいつでも出られる。ただ、ただ……、彼女は手招きをしてくるだけだ。それに誘われてしまうだけだ。
 だからやはり、操られているのだと言うのが、正しい。
 顎に手を当てて「ふむ」と白花は思案する。
「それなら、君だけ旅館に泊まるといい。僕はうちで一晩すごすよ。少し寂しい帰省だと思えばそうそう悪くもない」
「もう誰も住んでないんでしょ? 電気とか通ってるの?」
「どうかな。桂がこっちに来た時は大丈夫だったらしいけど、今は止まってるかもしれないね。でもまあ、一晩だけだし平気だと思うよ」
「…………」
 汀が深々と嘆息する。冬なのだ。いくら彼が平然とした様子であっても、寒さを感じていないわけではあるまい。それに、人のいない家は荒れる。風や雪をしのげる状態であるとは限らない。
 そんなことになったとして、彼女が知ったら怒るだろう。汀が言わなければ知られる心配はないけれど、自慢じゃないが口は水素よりも軽い。
「あぁもう。判った、あなたも一緒でいい。今回の仕事はあなたが肝なわけだし、もしものことがあったら葛さまに言い訳が立たない」
「僕が死んでも葛はなんとも思わないから心配しなくて良いよ」
 自虐とか、そういったマイナスの感情が何一つない、爽やかとさえ言えそうな口調だった。葛に対する理解度の深さを感じさせて、汀は少々怯む。下っ端なので頂上付近の権力争いに明るくはないが、噂程度にはその凄惨さを耳にしている。彼女はそれに勝ち残った存在なのだ。
 聡明だが無邪気な少女の笑顔を思い出す。
 あれは、まやかしではないのだろうけど、真実でもないのだろう。
「気に入ってる相手以外には割り切りが良いんだ、葛は」
「けっこう気に入られてるように見えたけど。要職に置こうとしてたみたいだし」
「あれは茶飲み友達がほしいだけ。葛の好きな人のことを話せる相手が僕しかいないから」
 白花の言葉を、子どものコイバナに付き合ってあげる優しい人が他にいない、という意味に取るほど汀は愚かでなかったが、それでも、正しく解釈することも出来なかった。
「ま、好きな相手なんて、イコール、ウィークポイントだしね。葛さまの立場じゃおいそれと人には言えないか」
「そういう面もある」
 プァン、とクラクションが鳴らされた。光が二人を撃つ。視線の先には無骨な車。気の良さそうな、豪胆な笑みを浮かべた運転手が車内から手を振ってきた。少し腕白小僧みたいな雰囲気の男性だった。幼い頃は『みたい』じゃなくて本当にそうだったのだろうと思わせる風貌だ。
「遅くなっちまったな。さぁさ、乗った乗った!」
 表情となんら差異のない声音で急かされて、二人は暖房の効いた車内へ乗り込んだ。



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