ジャスト・ライク・マジック


 肩を揺さぶられる感触に目を覚ます。小さな手。触れてくるその手に懸命さを感じて、なのははまぶたを上げた。
「ヴィヴィオ? どうしたの……?」
 眠気のせいではっきりしない問いかけだったが、返答のように向けられた視線は泣きそうで、それを認識した途端、瞬時に覚醒する。
 座り込んでいるヴィヴィオの向こう側を条件反射みたいに見やった。
 荒い呼吸と、引きつれた、呻き声のような音。
 ああ、と、なのはの喉から後悔の唸りが洩れる。
 疲れていたとか、今までより距離ができた(真ん中に小さなものが増えたので)からとか、そういったことは理由にはならない。言い訳にはなるかもしれない。そんな言い訳をするつもりはない。
 誰よりも早く気づかなければならないのに。
「フェイトママ、痛いの……?」
「ん……そうだね」
 心配そうなヴィヴィオに、こちらも痛ましげな頷きを返して、それでも「大丈夫」と微笑みかける。
 フェイトの眠っているすぐ横へ移動して、苦悶にゆがむ頬をそっと撫でた。
 声になっていないような唸りが、本当は明確な言葉なのだと、なのはは知っている。
 それは呼び声で、謝罪で、どちらもここにはいない、もうどこにもいない誰かに向けられたものだった。
「……フェイトちゃん」
 右手がさまよっていた。なのはがその手を握る。後ろでヴィヴィオが不安げに二人を交互に見ている。
 フェイトの手を握って、逆の手で頬を撫でて、前髪が触れるくらい近づいた。
 視線は動かさないまま、ヴィヴィオへと話しかける。
「フェイトママはね、ちっちゃいころに大切な人とお別れしちゃったんだ」
「フェイトママのママ?」
「うん、そう。それから、お姉ちゃん」
 至近距離から聞こえる呼気は短く、不規則で荒い。
「そのお別れが今でも寂しくて、時々こんなふうに、泣いちゃうんだ」
 彼女たちは間違っていた。どちらも間違っていたが、片方は永遠にどこかへ消えて、片方はここにいた。
 優しい彼女は、時々、それすら過ちだと自らを苛む。
 幸福が罪悪だと錯覚する。
 手をわずかに握り返された。それに少しだけ口元が緩む。
 彼女が、誰の手を握っているつもりなのかは判らないけれど、それでも、彼女がほんの少し救われた証拠だから、嬉しい。
「フェイトちゃん」
 荒い呼気にかき消されない程度の呼び声。呼吸が一瞬だけ落ち着く。
 その隙をついて、彼女の唇を静かにふさいだ。
 狂いきっていた呼吸のリズムを整えるようにリードする。相手の手を取ってダンスを教えるみたいに、規則正しく導いていく。
 やがて呼吸は平静に戻り、それを確かめたなのはがそっと唇を離した。
 恐る恐る、後ろから覗き込んでくる気配。
「痛いのなくなった……?」
「うん。もう大丈夫」
 ほう、とヴィヴィオの口から大きなため息が出た。安心したようだ。
 なのははクスリと笑い、フェイトの汗ではりついた前髪を払ってやってから、軽く触れるだけのキスをした。
 それを目ざとく見つけたヴィヴィオの顔色が変わる。
「フェイトママ、まだ痛い?」
「違うよ。これはね、魔法」
「魔法?」
「なのはママとフェイトママが、ずっと仲良しさんでいられる魔法」
 ヴィヴィオの表情が華やいだ。「ヴィヴィオもする!」にじにじとなのはの隣まで迫って、フェイトへと唇を突き出す。
 ぽふ。なのはの手のひらがヴィヴィオの唇を押さえた。色違いの両目がきょとんと無垢になる。
「んん?」
「ここはなのはママの場所だから、ヴィヴィオはこっち」
 笑顔でフェイトの頬を指し示すと、素直な子どもは素直に頷いて、柔らかな頬へちゅっと無邪気なキスをした。
「なのはママにもー」
 伸びをしてなのはの頬へ。なのはもヴィヴィオの頬へお返しする。
「これでみんな、ずっと仲良しさんだ」
「えへへー」
 嬉しそうなヴィヴィオを一度ギュッと抱きしめて、そのまま毛布の中へと導いた。
 夜は深く、腕の中で小さな子どもはすぐに寝息を立て始める。
 穏やかな二人の呼吸を聞きながら、なのはは胸の中だけで呟いた。
 
 ――――本当に、ずっと仲良しで、一緒に……。
 
 そうできたら、いいね。
 
 
 
 翌朝。部下たちとの朝練を終えて部屋に戻ったなのはが最初に見たのは、ヴィヴィオに『仲良しの魔法』を連続で放たれて目を丸くしているフェイトの姿だった。
「おはよ、フェイトちゃん」
「お、おはようなのは。というか、これって一体……」
 戸惑いながらまんざらでもなさそうなフェイトが、不思議そうな眼で見つめてくる。
 そこに昨夜の苦痛はない。
 なのはは満足げな笑顔になる。
「ヴィヴィオはフェイトママ好きだもんねー?」
「ねーっ」
「答えになってないんだけど……」
 その後、いきさつを聞いたフェイトは何故か顔を赤くしながら、ヴィヴィオに『仲良しの魔法』はみんなに内緒にしておくようにと言い含めた。
 素直な子どもは素直に言いつけを守り、二人のママ以外の誰にも魔法を撃たなかったし、ママたちが結構な頻度でそれを使っていることも言わなかった。
 だから、ヴィヴィオが初めて覚えた魔法は、三人だけの特別な魔法で、三人だけの秘密の魔法だった。
 ヴィヴィオは二人のかわいい娘のままで。
 魔法少女に、まだならない。



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