strange orphan


 かはぁ、とコハクの口から吐息が洩れた。それは喜びであり、憎悪であり、雄叫びだった。
「見つけたぞ、見つけたぞ馬瓏琉!」
 炯炯と輝く両目を大きく見開き、昂ぶりを隠しもしないで、醜いほど顔を歪めて笑う。跳躍とともに狩衣がひるがえって、広い袖が天狗の羽根のように羽ばたいた。
 「おう! 久しぶりだな虎姫! 俺の養女!」いかめしい眼帯に覆われた左目、その奥に隠れた眼球もまた、あらわな右目と同じように愉悦で鳴動しているだろうと思わせる表情で、黒で身を包んだ馬瓏琉は応えた。「やはり俺の邪魔をしにきやがったか!」
 コハクの振りかざした刃が水面の光に煌く。馬瓏琉は瞬時に赤黒い妖気の中から三叉矛を生成して刃を受け止めた。刃をはさんだ近距離で二人の歓喜と愉悦が衝突する。
「今度こそ貴様のそっ首刎ねてくれようぞ、瓏琉よ」
「勇ましいなぁ、俺の養女。だがまだだ、まだお前は俺に勝てん。そんな日は来ねえがな、虎姫」
 「A Helm of……」瓏琉が小さく呟きながら龍戟から片手を離して印を結んだ。途端、コハクの刀が龍戟の側面を滑る。わずかに体勢が崩れたのを厭ってコハクが後ろへ飛び退る。
「ふん、相変わらず面妖な術を使いおる。土御門とも勘解由小路とも違う系統のようだが……。大陸の妖術か」
「まあそういうことだ」
「だが、呪言と印が必要なことに変わるまい。それならば」
 音を立てて刀を持ちなおす。鋭い裂帛が一瞬発せられて、斬撃が息をつく間もなく繰り返し馬瓏琉に打ち込まれた。龍戟でそのすべてを払いながら隻眼の鬼が口の端を引き上げた。
「どうした、なす術がなくて笑うしかないか、おやじ!」
 昂揚をそのまま吠え声に変えてコハク。「ふん」嘲弄されたのが気に入らなかったのか、刹那、瓏琉が笑みをしまいこんだ。
 打ち込みの合間にあるわずかな隙をついて右手をふるい、龍戟の石突側でコハクの腹を横薙ぎにする。避けきれなかったコハクが吹っ飛んだ。
 身体の軽さが功を奏したか、派手に吹っ飛ばされたコハクは空中で体勢を立て直すと危なげなく着地した。小さく舌打ちをする。あのまま追い込んで首を一閃してやるつもりだったが、距離を開けられたことでその好機は失われてしまった。逆に腹をひどく痛めつけられた。柄で殴られたから浅い傷で済んだとは思わない。刃の側で攻撃してきたなら、矛を返す動きの分だけ時間ができるから懐にもぐりこめたかもしれないのだ。養父はさすがにそれほど阿呆ではなかったようだ。
 構えるでもなく龍戟を下げて(けれど矛先は油断なくコハクの正中線を捉えて)、馬瓏琉はくつくつと喉を鳴らす。
「俺の養女よ。まだそんなナリをしてるのか?」
 唐突に投げられた質問に、斬りかかろうとしていたコハクが止まった。訝しげに眉を寄せて、それがどうした、という表情を浮かべる。
「おぬしのようにふざけた装いをするつもりはないのでな」
「わりと気に入ってるんだがなぁ」
 暑苦しい黒のロングコートをちらりと見下ろした瓏琉が肩をすくめた。「だが、俺が言っているのはそういうことじゃねえ」
「なら……なんだと言うのだ」
「いつまでそんな男なりをしているつもりだ? お前の兄はとうに死んじまっただろう」
 眼帯のない右目が鈍く光った。
 入れ替わる相手のいない、必要のない格好をなぜしているのだと、隻眼の養父は養女に問う。
 コハクは面をつけたように表情を消した。
「理由などない。こちらに馴染んでおるだけのことだ」
「本当にそうか? お前はそうしていなければならない理由があるんじゃないか? なあ、俺を養父と呼ぶ養女よ」
「なにが言いたい!」
 苛立ちの刃が瓏琉に襲い掛かるが、養父は身の入っていないそれを簡単にかわしてみせた。
 コハクの腕を掴んで引き寄せる。それは父が子を抱くのとは違う意味合いだった。もっと根本的な、種としての行為であるような、それ。
 
「親を殺すのはいつだって息子の役目だ。そういうことか? それとも、
 
 俺を親と思えなくなるのが恐いか。
 
 なあ、虎姫。俺とともに在り続けた娘よ」
 
 ぞん、と鈍い音がして瓏琉の片腕が落ちた。瓏琉は顔色一つ変えずに、落ちた腕が作った隙から抜け出したコハクを眺めている。
 腕が再生するまで、どちらも動かなかった。
 瓏琉は薄く笑っており、コハクは顔だけでなく首まで紅潮させていた。彼女の紅潮は羞恥や面映さなどではなく、単純で純粋な怒りによるものだった。
「貴様……っ! 言うにこと欠いて、なんという戯言をぬかすか……!」
「なぁに、『俺たち』の間じゃ珍しいことでもねえ」
 歯軋りが響くほど奥歯を噛み締めて、憎しみのこもった瞳で馬瓏琉を睨みつけた。
 愚弄するにもほどがある。今までの関係を壊したくないがゆえにことさら友人関係を強調するような、年端の行かぬ少女が取りがちな行動と同レベルに語られて、コハクの自尊心は看過できないほどえぐられた。
「おぬしを養父と呼ぶのは、わしがおぬしとの因縁を忘れぬためよ。おぬしを斬るために、おぬしとのえにしを途切れさせぬよう使っておるだけのことだ」
 「しかし」吠丸を持ち上げて、ひたりと切っ先を瓏琉の喉元へ向ける。
「それも今日まで。今ここでおぬしを斬るのだから、因縁など気にする必要はない。
すべてを断ち切ってくれるぞ、瓏琉!」
 ゆうに三メートルはあった距離を一足飛びに縮めて切りかかる。すでにコハクの太刀筋に迷いはない。
 打ち合いのさなか、馬瓏琉が大きく笑った。コハクは揺れない。
「良い、良いな虎姫! もっとでかくなってから鬼にするべきだったか! そんな男なりなんぞ似合わん年頃で鬼にしていたら、俺はお前に首を捧げてやったかもしれんなぁ! その刃で! 両手の刃で首をもがれて、お前に食われても良かったかもしれん!」
「黙れ瓏琉!」
 カマキリの激しい本能を引き合いに出されたことなど気づかず、コハクは耳障りなその男の声を聞きたくなくて吠える。「おぬしを斬るのは《剣》を守るため。それ以外にはなにもない」
「ふん。ならば俺は《剣》を奪うためにお前を諦めよう。さらばだ、俺の虎姫。俺とともに在り続けた俺の養女」
「ああ、さらばだ、我が養父」
 歓喜と、愉悦と、憎悪と、諦念。
 それらを等分に混ぜ合わせた執念が、互いの刃に宿った。
 
 
 
 
 
 眼帯を突き破り、刃が瓏琉の左目を貫いた。
 手ごたえは確かでコハクは養父の死を確信する。
 「が……はぁ……」驚愕に見開いた右目が、信じられない、というふうにコハクを見つめていた。
 牙を覗かせながら笑うコハクが一気に刀を引き抜く。瓏琉は無意識にか、手のひらで左目を覆った。隠すことでなかったことにしたい、そんな心情の垣間見える仕草だった。それこそが、瓏琉はどうしようもないほど致命傷を負ったという証左。
「やはり……男なりなんぞ、するもんじゃねえ。親を殺すのは、いつだって息子なんだよ」
「それが恐くてわしを養女と呼び続けていたか?」
「……そうかもしれねえなあ」
 かはは。乾いた笑声が垂れ流された。「いや、それとも俺こそが」どうしようもない損傷が馬瓏琉から言葉を奪う。人体のように血液は流れ出ず、黒い邪気しか馬瓏琉の身体からは抜けていないのに、ゴポゴポと重苦しい音があふれ出る。
 馬瓏琉の唇は、意味のある音はないがずっと動いている。末期の言葉くらいは聞いてやろうと、コハクがわずかに近づいた瞬間、瓏琉の右手に小さな刃が生まれた。
 それしか作る力が残っていなかったのだろう、龍戟の先端部分にあたるそれをじかに握った瓏琉は、ためらいなくコハクのへそ下へ突き立てた。
「――――っ!」
 咄嗟に刃を払い、返す刀で養父の首を刎ね飛ばした。空中を舞う首は嫌味たらしく嘲笑していた。
 唇が動く。
 
 穿ってやった。穿ってやったぞ虎姫。
 俺のむすめ。
 
 その唇も、コハクが切っ先を突き出して串刺しにすることで、嘲笑の形のまま止まった。
「瓏琉め、小癪な真似を……」
 傷は深くない。行動に支障はない、鬼の身体にとっては治療の必要すらない程度のわずかな傷だ。
「…………」
 積年の恨みを晴らしたコハクの心には、歓喜も、愉悦も、憎悪も、諦念も生まれなかった。
 だからといって、寂寥とか喪失感とかがあったわけでもない。
 ただ、空虚だった。
 穿たれた、のかもしれない。
 コハクは刀を持った腕を高々と上げると、黒い霧となって崩れ落ちてくる馬瓏琉の残骸をその身に受けた。
 それは勝利の証。
 そうコハクは思った。
 狩衣の内側で、赤い血が滴り落ちている。
 



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